2017年9月10日日曜日

年間第23主日  ー チャリティバザー「かてどらる祭」ー

今日は、北一条教会のチャリティバザー「かてどらる祭」の日でした。
好天にも恵まれ、大勢の皆さんがご来場しました。


この日の主日ミサは10時から、英語ミサと合同で行われ、勝谷司教様が司式されました。


勝谷司教様のお説教をご紹介します。

『(司教様は、まず英語でお話しをされ、その後、時間的なこともあり要約のみ日本語で説教されました。)
 私たち日本人は、面と向かって人にアドバイスを与えることは苦手でないかと思います。特に相手が神父、司教であるとなおさらのことだと思います。どちらかというと、直接その人のことを何か言うよりも、陰でみんなで何かを言って、その人の耳に入るのは回り回って、「こんなことを言ってる人がいるよ。」というような噂で耳に入ることが多いのです。これがいつのまにか、私たちの共同体を支配する妖怪のようなものになってしまうことは多々あります。ただ、どうでも良い小さな欠点をあげへつらって、みんなでとりたててどうこう言うのも必要無いことですが、重要なことに関しては、私たちはきちっとそれに直面する必要があるわけです。

  今日の福音書や朗読聖書の流れを見ると、過ちを犯した人を正す義務があるというふうに受けとめてしまいがちですが、果たしてそうでしょうか。私たちはおうおうに、間違っている人を見ると、集団でその人をやり玉にあげて対処してしまう傾向があります。しかし、多くの場合、その人は私たちの教会共同体を去ってしまう結果をもたらしてしまいます。ただ単に、複数の人数でその人を追い詰めることが求められているのではありません。むしろ、私たちが過ちを正すというときに、その人の救いのために何が出来るのかという観点で考えなければなりません。そう言った意味で今日の箇所は、過ちを犯した人をただ直す、忠告せよという意味ではなくて、むしろその人が私たちの共同体にとってかけがえのないメンバーであり、私たちと同じく救われることが大切です。
 ですから私たちの救いのために、私たちの共同体のために、今キリストが何を望んでいるのか、ということを識別するために、祈る必要があります。そして、それは共同体の祈りです。二人三人が共に祈るとき、私はその中にいると言うのはそのような意味です。
 共同体的な識別のセンスを私たちが持って、私たちが一人ひとりの救い対して責任を負っているのだと。そういう観点から私たちは互いに愛を持って忠告し合おうと、今日の福音は求めているのだと思います。』

御ミサの後、11時からチャリティバザーが始まりました。
オープニングは聖堂玄関前で、聖園幼稚園の子供たちの合唱と、司教様のギター弾き語りが披露されました。



やわらかい秋の日差しがそそぐ中、談笑の輪が拡がっていました。