2018年4月22日日曜日

復活節第4主日(世界召命祈願の日)

復活節第4主日のテーマは「よい牧者」。
この日のミサは勝谷司教様が司式されました。


この日の勝谷司教様のお説教をご紹介します。


『今日の「世界召命祈願日」に当たって教皇様は、書簡を発表しました。そのテーマは若者に対して「聞き、識別し、生きる」という3つのステップを踏んで、神さまの召し出しを見出し、それを識別し、それに応えて生きるようにと、呼びかけておられます。 枝の主日の「世界青年の日」のメッセージにも、非常に長いメッセージだったのですが、その中で現代のネット、SNSの世界の中で若者たちが、非常に素晴らしい道具ですが、逆に多くの危険性が潜んでいます。小さなコンピューターやスマートフォンという窓からしか世界を見られない。結局、自らを狭い部屋に閉じ込めて若さの炎を消してしまうことのないように、必死に呼びかけておられました。
 このような危機感から、今年の世界代表司教会議(シノドス) のテーマは、青年・召命に絞られて、10月に向かって準備を進めています。この10月のシノドスの会議に向けて、 全世界のアンケートの調査が行われました。私が去年から、青少年の司牧担当になっていますので、そのアンケートの取り纏めを依頼され行ったのです。全国の青年担当者や学校関係者にこのアンケートを配りました。そこに書いてあった注意書きには、直接青年にこのアンケートに答えてもらう。そのお願いを添えて全国にの配りました。膨大な数のアンケートが帰ってきて、集計に大変苦労したのですが、直接青年が答えたアンケートは1通だけでした。しかもその1通は、小教区や教区、学校関係ではなくて、東京のネットワークミーティングという、学生が独自に運営しているグループです。そのほかはすべて担当司祭や先生が答えたものでした。これは何を物語っているかというと、今の教会、こういうシステム、組織、教区、小教区という中では、もはや直接、青年と関わることが出来ないとなっているということです。こういう教会という組織の中には、もう青年たちは関わらない。教皇も青年たちとコンタクトをとる術を失っていると言っていましたが、今回のアンケート調査で良く分かりました。
 昨年、支笏湖でネットワークミーティングの集まりがありました。全国から100人以上の青年が集まって来ました。札幌からも30人くらいのスタッフが集まり運営してきました。  これだけの青年がまだ全国にいる。そして、札幌にも関わっている青年がいると驚いたのですが、わたしは全体の集まりの中で聞いてみたのです。「この中で、自分の所属するネットワークミーティングに申し込みをしたときに、どのグループを代表して来たか?」いろいろな活動のグループがあります。小教区の青年会を代表して来た人は手を挙げてください、一人もいませんでした。これが今の日本の教会の現状だということです。   
 彼らが今、今日の福音のテーマですが、牧者の声に耳を傾ける。いったいどこの牧者に耳を傾けているかということはとても心配になります。教皇様が懸念されていたように、この閉ざされたネットの窓口からしか世界を見ていないという傾向が、非常に顕著になってきています。当然、それによって様々な懸念といわれるものがあります。非常に片寄っていくとか、テロもそうですね。知らないあいだに自分がどんどんそういった中になかに入っていくけれど、歯止めがかからない。実体験の中で関わっている人はいない。ネットの情報の世界の中だけで物事を判断している。そういうとんでもないところに行ってしまう可能性があるのです。
 そして、もうひとつ教皇様が指摘されておられたのは、ネそのようなット依存とは言わないが、ネットに関わっている青年たちは、ある種の恐れというものが根本に抱いている。この恐れというのは何か。宗教的に言うならば、人間的にある根本的な恐れは、自分が愛されていないという恐れ。あるいは誰からも何も必要とされていない、好かれていない、受け入れられていない。それの如実な現れは、SNSと言われる、皆さん理解してくれるかどうか心配なのですが。皆さんはYESマイスター知ってますね。いわゆる自撮りをしたり、自分を良く見せようとする。必死になっている。何のため。「いいね」をもらうつもりなのですね。いろんな人がネットを通して見ることが出来る。そして、いいね、素晴らしいという反応をするのです。その「いいね」の数。自分の精神的な反応をはかる。特にフェイスブックやそのほかのラインもそうなのですが、SNSの世界がそうです。自分を肯定してくれる仲間たちがどれだけいるかがとても気になる。返事がない。そういう私もSNSをやっていて、記事を載せると100以上の「いいね」がつくのです。50くらいだと何かあったかなと。心配になり、気になるのです。自分のアイデンティティが崩壊のところまでは絶対いかないけれど、そのすれすれのところで必死になってくいとどまっている青年たちがいるのが現実だと思います。

  先ほどの情報の話しですが、彼らはどういう情報を得ているのか。私たちは、皆さんも同世代の人が多いと思いますが、学生時代はどうやって情報を得るか。学校の授業、図書館。あるいは自分が直接電話をかけてしか方法は無かったですね。ところが今は簡単に、ありとあらゆる情報が机上で集められるようになってしまいますき。そんな中で若者たちは、実際に出会う感覚無しで世界を判断している。これはとても恐ろしいことだと思います。
 実際に具体的な話しがいくつかあるのですが、ひとつはこういう場で話したくないのですが、政治的な今の問題について。とても片寄った情報で、しかも浅い解釈でそちらの世界に入っていってしまう。あるいは今、教会の中でも少し微妙な問題になっています。福島の放射能汚染でどのような対応をとるか。今、現実に避難退避されて戻ってくる人たちがいるのです。そうした中で一生懸命、復興支援を支えているグループがいるのです。しかし片や同じように、  それがどれほど危険であるか、まだ本当に示されている情報が安全なのか。安全だ安全だという情報が先にいって、子どもたちにもそういっているのですが、その根拠はなんなのか。懸念を示す農家もいるのです。そういう人たちはネットで情報を発信していますが、多くの場合は国の政策に従った情報が圧倒的に多くて、その情報を丸呑み信じている人たちがいるのです。本当にこれは大丈夫なのかなと。本当の情報がどこにあるのかは、なかなか識別しずらい。 だから教皇様言っているように識別し生きるのですが、その判断の基準というものがどこにあるのか。難しい問題ですが少なくてもネットの情報は、うまく大切に利用しながら、実際に自分の目で認識する大切さ。そして、本当の意味で自分の人生を決定づけるような体験は、やはり直に出会うこと。そういう人間関係、触れあいをとおしてか得られないと私は考えています。

 私自身がこういう道に歩んだきっかけは、洗礼を受けた時の出会いが強烈だったこともあります。大学時代、東京に行ったときに真生会館という学生会館でいろいろな活動を行っていました。あの当時は学生運動も崩壊してしまって、一部のセクトが内ゲバを繰り返している時代で、あまり政治的なことにはかかわらないで、むしろ学生の聖書研究会や音楽を聞くとか、真生会館では多かった。ところが、アジアの国際会議がバンコクで開かれる時に、それはかつての学生運動の流れを色濃く残している団体、IMCS(国際カトリック学生連盟)、そこには昔のカトリック学生連盟に所属していたのです。全国の高校や大学に広まりますが、1968年に崩壊します。その後、全国で統一した学生運動はなかったのです。学生運動の中心だった真生会館。真生会館で集っている学生の中で、何故か私が目立ったのか、それに(バンコク)行けと言われて、行かされるハメになりました。その時の青少年担当司教が後の濱尾枢機卿でその時は司教で、東京の補佐司教でした。私はイヤでイヤでしょうがなかったのですが、英語の会議に、英語に慣れない人間に何が出来るのかと思いました。特にそういう政治的、社会的な運動に対して関心が高かったわけではなかった私が行かされたのです。 
 その時の体験が非常に大きかったです。あの当時、東南アジア、香港やバンコクを含めて、東南アジア各国では日本製品の不買運動が行われていました。日本の経済進出、エコノミック・アニマルが行われ、様々な社会問題が東南アジアで起こっていました。
  反日感情が非常に高まり、路上で日本製品が積み上げられ火をつけて燃やされる、テレビで何度も報道されていました。私は何度もそういうニュースに接していましたが、人ごとのようにしか感じていませんでした。しかし、その会議に行ったときに、まさにそれが話し合いのテーマとしてあげられたのです。当然、私に対していろいろ質問がくるわけですが、そもそも知らない、答えようがないのです。知らなかったという恥ずかしさだけでなく、知らなかっただけでは済まされない日本人の責任。それを非常に感じさせられました。そして、休憩時間にある参加者の女の子。一言、私と同じグループだったのですが、「あなたは自分をアジアの一員だと思っているの?」。そんな質問を受けると思ってませんでしたから、そのときの私には答えることができませんでした。というのも、外国といえば、アジアは考えていなかった。ヨーロッパやアメリカ。アメリカのホームドラマで育った時代ですから。フリッパーとか名犬ラッシーとか、日曜日の午前中や夜中のゴールデンタイムはアメリカドラマのものばっかりでした。自分をアメリカの一員と錯覚、おちいっていたきらいもあります。その当時の日本は、アジアの貧しさから脱して、ヨーロッパと対等のメンバーになろうと、経済的に目指していた。それは、明治維新のときからですね。戦争が終わった後は、経済的にそれを築いた時代だったと思います。しかし、東南アジアで生きていたその学生たちは、戦前は軍隊に、戦後は経済で支配され、自分たちは苦しめられていると感じていたのです。そのような苦しみを実感しているのに、親しくなった友からのたった一言。日本で何度も接していたニュースの情報より、はるか強烈にわたしの心に突き刺さってきました。テレビの情報によっては、自分を変えようと、生き方を変えようなどとは、まったく思わなかったのですが、その友のたった一言は自分の人生を変えてしまった。そういうことが言えます。
 その会議に参加した経験から、会議に集まった友達のつてを辿って、東南アジアの研修旅行を真生会館を中心に、毎年エクスポージャして回って歩けるようになりました。そこで出会った人たちが、いろいろの人たちの考え方から、だんだんと自分は神学校に行きたいというような感覚になっていったのです。

 ですからそれに比べて、先ほどまで言っていたネットの情報は、自分を傷つくことのない立場において、机上で集められた情報にすぎません。わたしたちは外に出向いて行って、実際そういう人たちと出会う体験を通じて、他を知る体験をするわけです。ネットやテレビは確かに共感を呼び起こすような情報もあります。でもちょっと自分を中心に見たくないものであれば遮断し、テレビだったらチャンネルを切り変えることもできます。傍観者にはなりますが、自分を突き動かすものにはなかなかなれません。単なる机上で世界を分析する評論家のような 世界を眺める存在になってしまう。
 若者に対しては、先ほども言ったように教会がその関わりの手段を失っている。であるならばどうしてそこで神さまを見出し、そして召命への道へ導くことが出来るのか。これは確かに難しい問題ですが、私にとって教会というものは、ネットというものが無かった時代でしたので、まったく違う新しい世界の入り口で、そこで出会った同じ世代の友だちだけではなくて、そこに関わった大人たちとの出会いも非常に決定的なものでした。 
 あの当時、室蘭では家庭集会というものが盛んだったのですが、毎週行っていました。今では考えられない。毎週、各地区で家庭集会が行われていて、若輩ものでありながら私も参加しました。そこでのいろいろな人の分かち合いを聞いて、本当にささやかながらも、いろいろな悩み苦しみを抱えながらも、信仰に基づいて生きようとしていた真剣な姿が若い人たちに伝わってきました。ですから教会は、若者がいるから場所を提供するではなくて、実際に関わりを必要としているというのは青年の側ではなくて、教会の側が青年たちに関わりを求めていく、それが必要ではないかと考えています。
  先ほどのアンケートもそうですが、これまでイヤというほどアンケートをとっているのですね。私も宣教司牧評議会の時代から、青年に対して何度もアンケート、話し合いの場が持たれています。アンケートの集約で問題が分かったような形になって、その後何もしないことが 続いているのが現状だと思っています。アンケートではなくて、何が出来るか、出来るところから実施していく。もうそうしなければ本当に未来の教会、今しなければ教会は20年後どうなってしまうんだ、本当に懸念されることだと思います。

 私たちはなかなか教会で若者を見かけなくなりましたが、どのように接して若者と実際、具体的に関わりを持つことが出来るのか。真剣な関わりであれば必ず何かが伝わる。真剣に関わろうとしなければ、すぐ彼らは直感的に識別してしまう。これは本気で関わろうとしている人たちは、そういう鼻だけはすぐきくのが青年です。教会が今本当に、あなたたちのために何かをしようとしていることを、何とか伝えたい。シノドスも教皇様もそうですが、今、具体的に教会の中で、真剣に考えていかなければならないことだと思っています。』