2017年4月16日日曜日

4月16日(日)復活の主日

主のご復活おめでとうございます。

聖堂は、主の復活をお祝いする人びとで一杯になりました。
この日のミサは、勝谷司教様と後藤神父様の共同司式により行われました。


奉納されたイースターエッグが、司教様により祝福されました。



侍者の子供たちから、イースターエッグが皆さんに手渡されました。


カテドラルホールでは、主の御復活と洗礼・堅信の祝賀会が行われました。


余興では、勝谷司教様の弾き語りも披露されました。


この日の後藤神父様のお説教をご紹介します。

『主のご復活おめでとうございます。
今日のみ言葉は、イエスが墓の中から消えたという形で復活を表す出来事が語られていました。この復活を私たちはどんなに待ちわびていたことでしょうか。
四旬節の間に、よい準備が出来て今日の日を迎えられたことと思います。

今年の四旬節は3月1日と区切りのよい日から始まりました。
私にとっての四旬節は、特別な思いを持って過ごしてきたような気がします。
私ごとになりますが、思い出の深く詰まった四旬節でありました。
四旬節が始まった3月1日、灰の水曜日は恩人の一人が亡くなった日でもありました。亡くなられた方は90歳を超えていましたが、信仰においてもとても熱心な方でした。その方はご自分の死を予測していたかのように、亡くなる時のカードを準備されていたようですが、そのカードの言葉は、「塵に生まれし者なれば、塵にかえれ」と昔の聖書の言葉をそのまま使っていたのでした。ご遺族の方は、「とても不思議な思いで見送りました」とおっしゃられていました。
また、私は司祭叙階から35周年の節目を迎えておりまして、同級生の司祭7名がこの四旬節の間に集まって旧交を温めることができました。
さらに、私たちの教会、教区にとっても助祭叙階式、四旬節の黙想会もあり、行事においても充実した気持ちで四旬節を過ごせたような気がします。
四旬節の間、準備されていた洗礼志願者の方は、日曜だけではなく熱心に平日のミサにも与られる方が多く、教会の中ではそのような方々との出会いもよくありました。
こうして、復活祭をお祝いできることを神様と、そして準備などに関わった多くの方々に感謝したいと思います。
四旬節の愛の奉仕は、「仕えられるためではなく、仕えるためである」というメッセージをイエス様は残されました。一人ひとりが神様の祝福を豊かにいただけますようにと、心から今日もこのミサの中で祈ります。

十字架の死は苦痛にしか見えないような一般の人のイメージでしょうが、そこに私たちはキリストの姿を真直ぐに見つめます。そのキリストの復活は、私たち人間の想像を遥かに超える真理です。そしてその真理こそ、私たちの信仰の対象だと思います。神様の業、復活それが私たちの信仰の対象でもあるわけです。
昨日16名の方々が、この教会共同体の一員に加わりました。うれしい限りですが、主の復活をたたえる信仰の仲間として、今なお世の中には不幸な出来事が続いていますが、互いに支え合い祈りを共にして、神の国の建設を目指して私たちも前に進んでいきたいと思います。
皆さんにとっても、この復活祭を機会に新しい日々が始められますように、心から祈ります。
改めて、主の復活おめでとうございます。』


12:30からは、英語ミサの「復活の主日」ミサが行われました。
観光客の方々も沢山訪れていました。