2017年1月1日日曜日

1月1日(日) 神の母聖マリア

新年明けましておめでとうございます。
新しい年が神の恵みに満ちた平和な一年でありますように。


後藤神父様のお説教をご紹介します。

『皆さん、新年明けましておめでとうございます。
神に感謝し、共に喜びお祝いいたします。

雪と寒さに溜息をついていた私たちではないでしょうか。
でも、大みそかの日と今日の元旦は、穏やかな一日を迎えています。
この穏やかな自然に包まれていると、心も平和を取り戻すようなそんな落ち着きを私は感じています。その心の平和を味わっていると、そこに神の恵みも感じられてきます。
教会は毎年の元旦を「神の母聖マリア」の祭日として、世界中の教会、信徒がこの地上に世界平和を祈る日となっています。教皇様は既に全世界の信徒に向けて、メッセージを出されています。信仰と希望における父として、旧約聖書のアブラハムの姿を教皇様は私たちに告げ知らせています。人間が一見不可能と思われるその中に希望があるということを旧約聖書のアブラハムの物語でも示されています。
「希望は新たな地平を開き、想像もつかないところに夢を見させる。希望は不確かな未来の闇の中に歩むための光を私たちにもたらす。」教皇様はこうメッセージの中で触れています。
聖書を見ますと、アブラハムの歩みは困難なものであって、失望や老いや疲れを感じる中で、子孫を持たずに死ぬことを神に嘆いたりするアブラハムの姿が旧約聖書で語られます。この神に嘆くということ自体が一つの信仰の形ではないか、一つの祈りではないかと、教皇様はメッセージの中で触れられています。実際、私たちも信仰生活を送るなかで、神様に愚痴をこぼすことがたくさんあるような気がします。でもそれもまた神に向っての祈りにつながっていくと思います。信仰はただ黙って受け入れるのではなくて、格闘でもあると教皇様は言われます。希望は決して失望させることはないと強調されています。どんなにつらくても、嘆きを言わざるをえなくても、希望を失わずに祈り続けなさい、そう言われているような気がします。教皇様のクリスマスのメッセージのなかでも、平和について、そしてこの世にある嘆き苦しみについて触れられています。特にこの地球に住む人たち、とりわけシリアやウクライナ、そして聖地パレスチナおよびイスラエルを始め、世界中で行われている戦争や激しい紛争の結果、苦しんでいるすべての人たちのもとへ平和が訪れますようにと。今、私たちの世界、私たちの社会、いつでも大きな不安を私たちにもたらす世界になっています。テロは遠い国で起こることではなくて、私たちの身近な世界・社会にも起こっています。教皇様はそういうなかで、テロの犠牲者たちにも慰めの言葉をクリスマスのメッセージのなかに込めていました。平和はなかなか進展していません。それはとても残念なことですが、そのようななかにあっても私たちは希望を持ち続けなければなりません。イスラエルとパレスチナの問題に対しては、歴史の新たな一ページを記す勇気と決意を持つこと、さらには残忍なテロ行為の結果として大切な人を失くした人たちには平和を希望しますと、教皇様は語られます。

私たちもどこかで挫折しそうな時が出てくるかもしれません。自分の思いはなかなか現実とはならない歯がゆさも感じることが度々あるかもしれません。でも神が一人一人を呼び集めてくださったこの私たちの教会から、私たちが一つになって心から祈るその願いは、新しい一歩として希望の光をもたらすことができると私たちは信じています。

今日、平和を祈る私たち、私たちのその聖なる心の祈りをいつも忘れることのない、この一年の歩みといたしましょう。
そして、教区100年、北一条教会の献堂100年を祝った私たちの祈りが、いつも神のみ心にかない私たちに勇気を与えるものとなりますように。
全ての人の平和を実現するための行動が伴う日々となりますように。
幼子を送ってくださった神に感謝し、地には平和が訪れますように。
み心にかなう人に幸せが来ますように。
また、教会のモットーでもあった「次の世代に繋ぐ」というその言葉がかないますように。
新しい年に、神の祝福が全ての人に行き渡るように、心を合わせて祈るこのミサを捧げていきたいと思います。』