2015年4月1日水曜日

聖香油ミサ

3月31日(火)11:00からカトリック北一条教会で
聖香油ミサが行われました。通常、聖木曜日に行われるミサ
ですが、札幌教区の場合、地域が広く、司牧的配慮から
受難の火曜日に行われています。
全道各地から多くの司祭が集まり、ミサの説教では
アド・リミナから帰られたばかりの勝谷司教から
教皇様との謁見の様子などが語られ、改めて信徒の
果たす役割が強調されました。
ミサでは、司祭の約束の更新が力強く行われ、
香油の聖別が無事行われました、





以下は、勝谷司教の説教(要旨)です。
聖香油ミサ 勝谷司教

先週の土曜日にアド・リミナとよばれる司教達の定期的なバチカン訪問から帰ってき
ました。私としては初めての経験。そこで各省庁の長官たちと会って、いろいろな議
論をして、そして教皇様と会ってお話をするというのが今回のメインでしたが、今回
の訪問は着いた翌日に教皇様との謁見が約40分間ありました。通常は一人ひとりの
司教が教皇様とお話をするそうですが、今回はほかの国もそうですが、まとまって教
皇様を囲んで話し合いをするというかたちでした。たぶん一対一でしたら緊張して何
も言えなかったと思いますが、自由に話し合いができたので、非常にリラックスして
親しく言葉を交わすことができました。
 事前にコメントが用意されていたのですが、教皇様はこれは後から読めば分かると
「何か話したいことはないか。」と、まず聞かれるという姿勢をとられました。それ
で、日本の司教団はいろいろなことを話し、これから各省庁に行って話そうと思った
ことを、直接、教皇様に伝えたのですね。私もひとつの使命をもっていて、実は福島
の原発事故の被災者とこれをレポートしていたジャーナリストの手紙を預かって、こ
れを届けて欲しいと。チャンスがあれば渡そうと。でも、それは難しいから福音宣教
省長官に渡すのと2部を用意していきました。そういった自由な雰囲気のもとで手紙
の中について説明したところ、教皇様は原発や世界中の科学技術についての懸念を述
べました。
 教皇様はその中でいろいろなことを話されました。特に印象深くおっしゃっておら
れたのは、信徒発見150年に関して長い迫害の中で信仰を守り通した、司祭がいな
い中で自分たちで 組織を作って、そして教えを正確に保たれていた。ですから、あ
の当時の教会はすぐに復帰することができると。それは、浦上の信徒ばかりでなく各
地の信徒が伝えていって、どんどん復帰する村が増えてきたのです。非常にたくさん
の方々が信仰を守り続けてきました。教皇様は信徒の信仰のセンスというような言い
方で、司祭がいなくても信徒が直接洗礼の導きをうけて、そしてそれを守り続けるこ
とができる。当時は宣教は出来ませんから守るのが精一杯だったのですが、村の中で
信徒を鍛え続けた、その力はどこにあるのか?日本にはこのような素晴らしい力があ
るのだ、世界に模範になる力があるのだと、おっしゃっていました。
 そして、福音宣教省に行ったときは、最初に長官から30分以上の長い訓話をいた
だきました。その中で面白かったのは信徒に関すること。もっと司祭が信徒を信頼す
るように。司祭にはない現場に生きている信徒の信仰のセンス。これを大事にするこ
と。これは教皇様の「福音の喜び」にもありました。まさに新しい福音宣教の力は信
徒の中にある。司祭は信徒を管理するのではなくて、信徒の救いのセンスに信頼し
て、もっとそれを呼び起こすようにと言われました。
  実は昨年ですが、教区のアド・リミナに向けた教区ビジョンを出さなければならな
かったのですが、あまりの忙しさに、昨年の年頭司牧書簡「信徒中心の教会」をベー
スに送りました。そうしましたら、私がそこに書いた同じことを強調していたので
す。自分のをそのまま読んでいるかのごとく(笑い)。本当に私の言いたかったこと
ですね。
 教皇様も福音宣教省の長官も信徒の力、信仰の凄さ、一人ひとりが宣教者であるこ
と、その自覚をもっている、キリストを証しして行っていただきたいということで
す。そして、ここにも神父様方がたくさんおられますが、その信徒に信頼して、教会
での活動を委ねて、そういう姿勢であって欲しいということです。このように教皇様
がおっしゃっていたことをお伝えしたいと思います。
  私たちの教会もいろいろ困難な状況はありますが、司祭が少なくなっている中で、
しかし司祭、修道者、信徒がひとつになって新しい宣教をどのように進めていったら
良いのか、今年は札幌教区が東北から独立して100年の記念の時にあたって、4月
からそれを意識していきます。新たなる第2世紀に向けて私たちが、この北海道の地
に神の国を伝えることができるように、皆さんの祈り、協力をお願いいたします。