2014年3月30日日曜日

四旬節第4主日

フィリピンのイースタービレッジを訪問されていた祐川神父様が
約4週間ぶりに帰国され、今日の主日ミサの司式をされました。


お説教の後、洗礼志願者のために清めと照らしをお祈りしました。
祐川神父様が、洗礼志願者に神の霊が注がれたしるしとして頭に手をおきました。


祐川神父様のお説教の一部を紹介します。

今日の典礼のテーマは”見る”です。
先週の福音は「サマリアの女」、今日(ヨハネ9章1-)は「生まれつき目の見えない人」と、聖書は私達の信仰をシンボリックに表現しています。
今日の福音で、イエス様は生まれつき目の見えない人と出会いますが、弟子たちは「この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか」とたずねます。イエス様の答えは「神の業がこの人に現れるためである。」
この後、イエス様がこの人に行った行為、「泥を作って目に塗り」は天地創造を、「シロアムの池で洗う」は洗礼を想起させます。
四旬節は今日の福音にあるように「目の見えない人」がイエス様によって目を開かれて、そして「主よ、信じます」と宣言したように、洗礼志願者の目がだんだん開いてくるという信仰の歩みを確認していくための期間でもあります。
わたし達自身も、自らの洗礼を思い出して、今日のミサ聖祭を進めてまいりましょう。


【お知らせ】
  • 4月6日四旬節第5主日ミサ司式: 祐川神父様
  • 聖週間の司式予定: 勝谷太治司教様
  • 司祭異動で当教会に赴任される後藤神父様による主日の初ミサは5月11日(日)を予定しています。

2014年3月23日日曜日

四旬節第3主日、四旬節黙想会

今日の主日ミサは新海神父様(小野幌教会主任)の司式により行われました。
ミサの後、神父様による四旬節黙想会が行われました。


ミサを司式された新海神父様のお説教の一部をご紹介します。

四旬節で聖書は私たちに、祈り、節制、貧しい人たちへの奉仕を勧めています。
今日の福音(ヨハネ4章)は、イエス様とサマリアの女のお話です。
サマリア人はもともとユダヤ人と同じ民でしたが、紀元前6世紀に北の王国イスラエルがアッシリアに滅ぼされたことにより、残された人々がアッシリア人と交わり別な神殿を建てたため、イエス様の時代にユダヤ人からは忌み嫌われ敵対関係にありました。
今日の福音の場面では、お昼ごろ1人で井戸のそばに座っていたイエス様が、水を汲みに来たサマリア人の女に「水を飲ませてください」と話しかけるところから始まります。
昼日中に、たった一人で水を汲みに来るような女性とは?村の中でも皆から白い目で見られ差別を受けていたと思われます。イエス様は、この女性の長い間抱えていた苦しみを一瞬のうちに捉えられました。
だからこそ、「あなたの水(人生の苦しみの水)を、私に飲ませてください(味あわせてください)」と言ったのでした。
そして、この女性に対し、「この井戸の水を飲むものはだれでもまた渇く。しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」と言われたのでした。
イエス様は、イスラエルとサマリアの和解を願い、さらには人類にはびこる狭い民族主義を乗り超えて、神の国という形で実現しようとしました。
イエス様からほとばしり出る「信仰の水」、「命の水」を、どうかわたしたちにも飲ませてください。そのことを今日の福音でしっかり受けとめたいと思います。


ミサの後、引き続き、新海神父様による黙想会が行われました。



第1講話「老いについて」(聖堂)
高齢化社会を迎えている私たちは、キリスト者としてどのように老後を過ごしていけばいいのか?、様々な事例を交えてお話いただきました。

昼食(カテドラルホール)

第2講話「富と貧しさ」(カテドラルホール)
富自体は悪なのか?イエス様はお金自体は悪とは思っていなかったけれど、警戒するようにと言われています。「金持ちとラザロ」の譬えでは、何故、金持ちは死んでから神の裁きを受けたのでしょうか?それは、金持ちには、愛というものが欠如していたからです。「善きサマリア人のたとえ」では、だれが傷付いた旅人の隣人となったのか?
イエス様が示された新しい掟「互いに愛し合いなさい」。
マザーテレサが来日された時のお話。来日した際、荷物はたった一つの小さな手提げ袋だけだったこと。そして、真っ先に向かった先は山谷でした。次の日に東京カテドラルに行った際の第一声は「Poor is beautiful」、貧しい人々の心根は何と美しいのだろう、ということを学んだ。

以上のようなお話をいただきました。
詳細は、あらためてご紹介させていただきたいと思います。

新海神父様、大変有難うございました。

2014年3月22日土曜日

祭壇奉仕者選任式、助祭・司祭候補者認定式ミサ

 沖縄では海開き、高知では桜の開花宣言が出ました。長い日本列島、北の大地は根室では観測史上最高の1メートルを超える吹雪(根室教会の皆さんが心配です)、札幌でも昨夜からの降雪で除雪が大変でしたが、聖堂は全道から来られた方々の熱く温かい気持ちが溢れていました。司祭の道を志し神学生となられ、そのいくつかあるステップのひとつが今日の祭壇奉仕者選任式と助祭司祭候補者認定式です。
 勝谷司教様の「司祭のなり手が少ないこの時代に、この困難な道を選んだ2人の決心と今後の歩みを皆さんの祈りで支えていただき、認定式と選任式を受けられる2人の上に神の豊かな恵みと祝福を!」のお言葉でミサが始まり、式は、パウロ三木 佐久間力神学生の認定式、そして、パウロ 佐藤謙一神学生の選任式の順で厳かのうちに滞りなく進みました。

勝谷司教様によるミサ司式



パウロ三木 佐久間力神学生の認定式



パウロ 佐藤謙一神学生の選任式



派遣の祝福の前に、選任式、認定式を終えられたお2人と、神学生の簑島克哉さん(帯広教会)、今春神学校に入学をする梶沼大介さん(元町教会)の4人からご挨拶がありましたので少し披露します。

佐久間神学生(左側)と佐藤神学生(右側)からのご挨拶



今春から神学生になる梶沼さん(左端)と、箕島神学生(左から2人目)からのご挨拶




<佐藤謙一さん>
今日選任された奉仕者の役割はミサ典礼の中での祭壇奉仕にありますが、それと共に司教様の訓話にありましたように、キリストを信じるものとして、誠実な愛を示すこと、特に病者と弱者に対して示すことが求められています。神学校に戻りそれが実践できるように勉強を頑張ります。これからも私たち神学生へのお祈りを宜しくお願いします。
<佐久間力さん>
今日は嬉しい、の一言です。神学生としての修業期間が終わり、これから本格的に神学を勉強します。皆様に福音を伝える事が出来る司祭になれるよう頑張ります。そのためにも皆様の支えとお祈りを宜しくお願いします。
<簑島克哉さん>
佐久間さんの認定式は自分の事のように嬉しい。これからも一生懸命勉強をします。皆様のお祈りを宜しくお願いします。
<梶沼大介さん>
3年前に洗礼を受けました。司祭の不足と高齢化の話を聞いて、自分が役に立つならばと手を挙げました。宜しくお願いします。どうぞお祈り下さい。

神学生が祭壇の前に並んで其々のご挨拶が終わると同時に、身廊後方に座られている信徒の一人から「頑張れよー!」との掛け声が上がりました。ミサ中には滅多にないことですが、私たち信徒の気持ちを一瞬で表現するタイミングの良い掛け声でした。4人の神学生が祭壇前に並ぶ姿は圧巻でした。このまま順調に進みますと、2016年3月は、司祭叙階式、祭壇奉仕者選任式、朗読奉仕者選任式、助祭司祭候補者認定式が一遍に行われることになります。期待の膨らみと共に責任の重さも増え、毎日の祈りと一粒会を通じての支えの大切さを改めて感じさせて下さった選任式、認定式ミサでした。
佐藤さん、佐久間さん、おめでとうございます。そして簑島さん、梶沼さん、頑張って下さい。


勝谷司教様のお説教

勝谷司教様の説教概要
「始めにも話しましたが、司祭職を目指すという事は特殊な生き方を選ぶという事です。私は神学校に入れば自分の欠点は克服できると考えていましたが、25を過ぎた自分の傾きはそう簡単に治るものではなく、司祭を目前にしながらも中途半端なままだった。神学校生活のなかで素晴らしい人も大勢いましたが、私を含めて「(この人)神父になっていくのだろうか?」という人たちが司祭になっていきました。そこに不思議な神様の意図、弱い人間を通して導かれる神の業を感じることが出来ます。神学校で自分を相応しく変える努力は大切ですが、普通の社会とは異なり、カトリック教会では自分の弱さを見つめて、それを通して常に神が私を支え導いて下さる、そして多くの人たちの祈りに支えられて、司祭職を全うする為に様々な助けが自分にあるだろう、そのことをどれだけ深く感じ取ることが出来るか、更に言うならば、『他者の弱み痛さに共感できるために、自分自身の中にその様な弱さを充分に身につけているか』、とさえ言う事ができる。自分の力で司祭職を全うしようとすると途中で行き詰ってしまう。神学校生活の中で、神学生が学ぶのは勉学だけではなく、その様な内面的な霊性を身につけて行くことが不可欠です。それを通して自分が本当に司祭職に召されているかと言う事を確認して行く、その期間が神学校生活で与えられた期間です。そして、私たち教会は信徒を含めて、『この人は本当に司祭となるに相応しい人間であるか?』を養成されていく中で見極めて行くよう求められています。」


ミサが終わり退堂

2014年3月9日日曜日

3月9日(日) 四旬節第1主日 - 悪魔と戦争 -

四旬節最初の主日です。今日のミサ司式は、ケン・スレイマン神父様でした。この教会で司式するのは初めてだそうです。
ミサの中でお二人の求道者の洗礼志願式が行われました。


ケン神父様のお説教を紹介します。(事前に配られた原稿から抜粋)

『 皆さんおはようございます。2014年の四旬節、いらっしゃいませ。
今日の福音の中で、イエス様と悪魔が出会うことを読んで父の懐かしいことを思い出しました。1年前に父は天国に行きました。とても楽しい父でした。私には兄弟が7人いて弟が2人です。父は私たち息子たちの楽しみのために、自分の趣味を体験させてくれました。父の趣味の一つに、有名な戦争の場所に行ってその戦争の説明をして、それを感じることがありました。彼はアメリカのカトリック系のボストン大学に通っていた時に、歴史を勉強し、戦争についての興味が深くなりました。なぜならば、私の家族の歴史に戦争も関係あるからです。父のおばあちゃんがフランスのマリーアントワネットの親戚です。皆さんご存知だと思いますが、彼女は子供たちの命を守るために、フランスからスコットランドに送りました。
 その後で、スコットランドからカナダに移民しました。当時、カナダでスコットランドからのフランス系移民は、イギリス系移民と誰がカナダでリードするかのことで戦争になりました。
戦争の中で、私の親戚は大切なリーダーをしました。私の父はその歴史についてとてもプライドを持っていて、私が子供頃、毎年ニューヨークからカナダへ行って、私たちに戦争のことについて話してくれました。私も父の趣味から、家族のプライドと戦争について感心を持っています。この話と四旬節第1日曜日にどのような関係があるでしょうか?
 今日の福音(マタイ4・1-11)の中で、イエス様と悪魔は戦争の雰囲気を表しています。悪魔がイエス様に色々誘惑を通して乗り越えるために頑張っていました。でも、イエス様が一つずつ無視して、最後にイエス様が戦争に勝利しました。よかったね。
 皆さん、先週灰の水曜日から四旬節が始まりましたね。四旬節は40日間です。これは、イエス様の砂漠の中で悪魔と戦争を40日間マネするためです。イエス様と同じように私たちは、悪魔の誘惑を退けるために頑張らなければなりません。
 四旬節の中で私たちの中の魂の状況を清めるために頑張ります。もちろん、昨日より今日がもっといい自分になるために弱さを認めることが大切です。そして、もっと良くなる為に悪魔に従うのではなく、この40日の中でイエス様に従いますね。
 7世紀から四旬節の文化が今のようになりました。そして、自分の魂を清めるために、祈り・断食・施しを行います。
 祈りは、神様の存在とコミュニケーションするためにします。祈りを通して私たちは霊的な栄養をいただきます。神様の喜びを受けます。四旬節は他の人々を助ける目的もありますが、自分も助けるために祈り生活大切です。良いキリスト信者になるために祈りは空気と同じくらい大切です。歴史の中の有名な聖人達はみんな祈りの立場から施しを行いました。マザーテレサもです。
 断食は、食べ物だけを断ることではありません。例えば、テレビ・インターネット・電話・パチンコ・映画・レストラン行くことなどの娯楽や、憎しみ・悪口などもしないで、代わりに祈ったり、その娯楽に使うお金と時間を人を助けるために使うことを教会は勧めています。
 施しは、現在のフランシスコ教皇様の特徴です。彼は、口だけではなく、行いをするかっこいい教皇様ですね。彼は、教皇様になってから、色々な愛の業を通してイエス様の心を示しました。
 彼の模範を見て私たちはプライドを持っていますね。そして、イエス様の御言葉を思い出しますね。
 マタイによる福音25章40節の中でイエス様は、「はっきり言っておく。私の兄弟であるこの最も小さな者の一人にしたのは、私にしてくれたことなのである。」ですから、施ししながら、イエス様へもっと従うことができるでしょう。どうぞ皆さん、一人一人の場所から人々のニーズを満たすために頑張りましょう。
 2000年前にイエス様は当時の人を満たしながら喜びを与えたように、私たちも人々の人生に喜びを照らしましょう。
 四旬節の言葉は、英語で「Lent」です。これは古い英語です。その意味は、Springtime(春の時)の意味を含んでいます。
 札幌信者の皆さん、特に私たちはスプリングタイム必要です。雪多いでしょう。どうぞ皆さん、祈り・断食・施しを通して、札幌に早く春が来るよう頑張りましょう。ありがとうございます。』


神父様のお説教の後、洗礼志願式が行われました。


洗礼志願式に臨まれるお二人(中央の左が川口さん、右が石川さん)


ケン神父様からは、「お二人が、神様のかわいい娘達となれますように」
そして、何度もお二人に「がんばってね!」と温く声をかけられていました。

2014年3月2日日曜日

年間第8主日 「あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる」

暦もいよいよ3月に入りました。
北国に暮らす私たちにとって、待ち遠しい春が一歩、一歩近づいて来ました。今日はとても穏やかな晴天に恵まれ、教会にも柔らかな日差しが降り注いでいました。


昨日、久しぶりに焼肉を食べに行きました。5日の灰の水曜日から始まる四旬節を前にしての一寸したカーニバルです。キリスト者の少ない日本では、キリスト教系のお祭りが少ないのですが、最近では勘違いも含め姿かたちを変えて、ハローウィン、メーデー、バレンタインデー、などが定着してきているようです。商業ベースであっても、またカトリックとの縁が薄くても、キリスト教文化と古来日本文化の交わりがすすむ事が楽しみです。
カーニバルを経て四旬節では「毎日の黙想」の巻頭言にもありました「赦し」について振返りたいと思います。


今日のミサは協力司祭の森田神父様です、お説教の一部をご紹介します。

空の鳥を見なさい、野の花を見なさい、と主は仰っています。更に主は、信仰の薄い者たちよ、と嗜められる。私たちは信仰が薄いと言われることに意外性を感じるが、これはキリストが戒めていると同時に励ましてもいるのです。もっと神を信じて良い。心配しなくても神が配慮して下さることを信じなさい。
第1朗読にあった、母親と乳飲み子の究極の愛、子のために命をも捨てることが出来る女が子を忘れても、私はあなたを忘れない、という言葉を私に与えられた神のみこころとして考え、刻み込んでいきたい。
心配は物事を悪化させる、神が必ず何かをして下さると信頼する、自分の子ども、家族のことを心配するならばそれも心配して下さる。私たちはその様に信じていきたい。そして、信頼しつつ努力をすることが良くなっていく事の秘訣です。
同時に今日の信頼しなさいという言葉は挑戦でもあります。
神の国と神の義を求めなさい、と言う言葉は言いかえれば、神のみこころを求めなさい、ということです。神のみこころを求めるのは、私たち信者は日常で意識していなくてはならない、私たちは神のために生きます。「あなたがたには自分の命がどうなるか、明日のことはわからないのです。あなたがたは、わずかの間現れて、やがて消える霧にすぎません。」とヤコブの手紙にあるように、私たちは営利のために働かなくてはならない時がありますが、神のみこころを探求する事をその上に置かなければなりません。
私たちが日常生活を変えなければならない時に、神のみことばはどちらかを考えて決断し、神の国と神の義を考えて行動したならば、神が面倒を見て下さる。
神の義を求めなさい、何を食べるか、何を着るか、全てを私は知っている、と言う神のみことばは、私達に大きな安心を与えると同時に、決定的な決断をする時に、一つの挑戦、一つの規範になる。
私たちには様々な挑戦がありますが、神にこたえることで、あなたのものを未来に派遣して行きたいと思います。


今週の水曜日(3月5日)は「灰の水曜日」、いよいよ四旬節が近づいてきました。
灰の水曜日に教会では、回心のしるしとして額に灰をかける「灰の式」という典礼があります。
昨日の土曜日、教会で灰の水曜日で使う灰の準備を行いました。
信徒の皆さんから回収した前年の枝の主日に聖別された棕櫚の枝を燃やして灰にしました。


完全に灰になるまで燃やします


けっこう、煙たいです・・・


できました!
お疲れ様でした