2014年8月17日日曜日

年間第20主日  「聖母の被昇天」ミサ

15日の「聖母の被昇天」の祭日をお祝いするミサが今日振り替えで行われました。
ミサでは洗礼式と初聖体が行われ、4人の子供たちが神父様の手から初めて聖体を受けました。

洗礼式


4人の子供たちの初聖体


神父様から記念品が贈られました


後藤神父様を囲んで


後藤神父様のお説教をご紹介します。

『聖母被昇天の祭日は15日でしたが、北一条教会ではその日、札幌地区の「平和祈願ミサ」が毎年行われるため、日曜日に移動して聖母被昇天を記念するミサを行っています。
8月15日は「聖母の被昇天」の祝日であるのと同時に、「終戦の日」、そして祖先の霊を祀る「お盆」でもあり、人それぞれにこの日を迎える思いがあることでしょう。
8月15日は、聖母被昇天を祝いながらも、マリア様をとおして死者のためにも祈るという日でもあると思います。

今日、皆さんと共に聖母被昇天を考えてみたいと思います。カトリックの信仰を持つ私たちにとっても、聖母被昇天の祭日は、どのような意味を持つ一日でしょうか?
キリストによって救われる全ての人々は、死んでから魂として、神の国で、限りない幸福に与かります。人々の身体は世の終わりまで復活することはありませんが、復活には招かれています。
聖書で言われている「その時」という言葉があります。その時が来ると、全ての人は復活するということになります。魂もからだも神の豊かな救いを味わって幸せになります。それが復活の世界です。それが私たちの将来でもあります。
でもマリア様だけは、私たちと違う生き方をされた方です。「全能の神、あなたは御ひとり子の母、汚れのない乙女マリアをからだも魂もともに天に上げられました」と、今日私たちは集会祈願で唱えました。からだも魂も天の栄光に上げられたのはマリア様だけです。マリア様は、世の終わりを待つことなく、この世の命が終わってからすぐに、ご自分の御子キリストと同じようにして復活され神の国にあげられた、ということを祝うのが今日の聖母被昇天です。
このことを再度、心に留め、私たちも、復活の命に招かれるように、より一層、日々努力していかなければと思います。

マリア様は、教会にとっても私たちにとっても特別な存在です。
なぜなら存在の最初から、罪に少しも汚れたことのない方、それがマリア様であるからです。救いの最高の実りを生きられた方、それがマリア様です。
被昇天の聖母マリアと同じように、栄光のキリストのからだに似たものになるということが、私たちの憧れでもあり希望でもあります。そしてそれは、神の私たちに対する本当の望みでもあるということです。神の望みは、私たちがマリア様と同じような状況に置くことを救いの恵みと言っておられるのだと思います。
今はイエス様だけではなく、憐れみの御母、罪びとの慰めとなられた聖母マリアをとおして、私たちはいつも取り成しの祈りを唱えることができるようになっています。
私たちはマリア様をとおしても、たくさんの恵みをいただくことができます。ルルドやファティマにおいて、数え切れない奇跡をこれまで見てきたように、マリア様の恵みは、今もなお世界中の人々に注がれているかと思います。

今の私たちの世界は、決して安心できる平和な世界だとは言い切れません。様々なところで、紛争や戦いが続いています。そして私たちの周りには、孤独死という大変厳しい現実もあります。でも私たちの命の連鎖は、先祖から繋がって私たちに存在しています。私たちは先祖の心を受けながら、この命、そして命の存在を深く考えて、大切にしなければなりません。そして自分の命だけではなくて、私たちの周りにいる一人一人の命をも大切にする心を培っていかなければならないと思います。
幸いなものは神の言葉を聴き、それを守る人であると、聖書は述べています。
そして、その言葉を、実現したのは、マリア様でした。
私たちも幸いなひとと呼ばれるように御言葉に心を向け、それをよく聞き、それを守って歩むことができる、そういう信仰に至りたいと思います。

今日、マリア様に憧れる4人の子供たちがいます。一人はこれから洗礼を授かります。そしてその子を含めて4人の子は、初聖体という大きなお恵みを頂こうとしています。
子供たちは、心の汚れを神様から取り除いてもらって、この一週間を過ごしています。
今朝、子供たちに「心はどうですか?」と質問しましたが、心が汚れないよう頑張ったという子もいるようです。
初聖体の子供たちを見つめていながら、昨日の聖書の言葉を思い起こします。昨日のミサの福音ではこんな言葉が読まれたのです。
「イエスに手を置いて祈っていただくために、子どもたちが遜れて来られた。ところが、弟子たちは彼らをしかった。しかし、イエスは言われた。「子どもたちを来させなさい。私のところに来るのを妨げてはならない。」と弟子たちを注意しました。(マタイ19・13-15)。
今日子供たちは、祭壇の前に近づいて、御聖体をいただきます。その子供たちを喜んで見守りながら、私たち一人一人もこの御聖体に近づき一致することが出来るように、このミサをとおして祈りたいと思います。』


御ミサの後、被昇天と洗礼式、初聖体のお祝い会が行われました。
神父様から4人の子どもたちにお祝いの言葉がおくられました。


今日の御ミサでは、夏休みで帰札している神学生の箕島さんと梶沼さんが、侍者奉仕をされました。